JAL CV-880M (1961〜1971)


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機種概要

CV-880は、アメリカのジェネラルダイナミクス・コンベアが開発した中距離用の小型四発機である。
ライバルとなるボーイングB707やマクドネルダグラスDC-8よりも小さい一方で巡航速度が速いことが売りだった。
機内はエコノミークラスで横5列の座席が配置でき、100席クラスのキャパシティを持っていた。
高速性実現のためにエンジンは輸送機用に開発されたものではなく、戦闘機用からアフターバーナーを取り外したCJ805を採用していた。
しかしながら猛烈な騒音と真っ黒な排気ガスは不評で、操縦が難しく事故率が非常に高かったことと相まって世界的に活躍期間の短い機体であった。

JALでは、DC-8-30に続く一回り小型のジェット機として、1961年から本機種を8機導入した。
元々は中距離国際線に投入予定であったが、ANAのターボプロップ機攻勢に対抗すべく東京−札幌線に就航し国内線のジェット時代が幕を開けた。
その後国内線のために導入されたB727-100が揃ってくると、本機種は本来の活躍場所である東南アジア線に活躍の場を移した。
また日本国内航空(JDA)でも1965年に1機をフラッグシップとして導入し、旧JASグループとして初めてのジェット機となった。
ところが政府の方針で翌年には導入したばかりのB727-100とともにJALにリースされることになった。
本機種はJALの機材では飛び抜けて事故率が高く、9機のうちJDAからのリース機を含む3機が訓練中の事故によって失われた。
CV880は国内線ジェット化の口火を切った大きな功績とは裏腹に、数々の問題を抱えて活躍は10年にとどまり、1971年に半ば追い出されるような形で日本の空を後にした。


日本航空 CV-880M
CONVAIR CV-880-22M (JA 8021) 初代塗装

フリートリスト
登録記号 運航会社 型式 製造番号 登録年月 抹消年月 愛称 備考
JA 8021 JAL CV-880-22M-22 22-7-5-57 1961.07 1971.04 さくら 売却 エアトリン N5865 事故抹消
ラストフライト機
JA 8022 JAL CV-880-22M-22 22-7-6-58 1961.09 1970.07 まつ 売却 キャセイパシフィック航空 VR-HGF 解体
JA 8023 JAL CV-880-22M-22 22-7-7-59 1961.09 1965.03 かえで 事故抹消 1965.02.27
壱岐空港にて訓練中に墜落
JA 8024 JAL CV-880-22M-22 22-7-8-60 1962.06 1970.06 きく 売却 キャセイパシフィック航空 VR-HGG 解体
JA 8025 JAL CV-880-22M-22 22-7-9-61 1962.07 1971.04 あやめ 売却 レインボーエア N4339D 解体
JA 8026 JAL CV-880-22M-3 22-00-46M 1963.07 1971.03 やなぎ 売却 プロフィットエクスプレス N54CP 解体
JA 8027 JAL CV-880-22M-3 22-00-48M 1963.03 1971.04 すみれ 売却 アメリカ連邦航空局 N5863 解体
JA 8028 JAL CV-880-22M-3 22-00-49M 1963.03 1969.07 ききょう 事故抹消 1969.06.25
アメリカ・モーゼスレイク空港にて訓練中に墜落
JA 8030 JDA
JAL
CV-880-22M-3 22-00-45M 1965.01 1969.11 ぎんざ 購入 スイス航空 HB-ICM 1961年製造
事故抹消 1966.08.26
羽田空港にて訓練中に墜落

スペック
CV-880M (国内線)
全長 39.4 m
全幅 36.6 m
全高 11.1 m
巡航速度 890 km/h
航続距離 4,630 km
最大離陸重量 87.6 t
エンジン GE CJ805-3B 5,280 kg ×4
座席数 Y124

塗装バリエーション
日本航空 DC-8-61
CONVAIR CV-880-22M (JA 8030) 日本国内航空

参考文献

「JAL JET STORY」 イカロス出版, 2009年
「日本のエアライン2008-2009」 イカロス出版, 2008年


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