AIRBUS A300-600


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概要

A300-600は、ヨーロッパ(フランス・ドイツ・スペイン・イギリス)のエアバスが開発した中型双発機である。
A300の中距離モデルA300B4をベースとして、A310で確立したグラスコクピットなどの新世代システムをフィードバックした。
ETOPS認可により双発機でも制限付きながら洋上飛行が可能になり、ライバルのB767-300ERとともに三発機から活躍の舞台を一気に奪った機種である。
1983年から2007年にかけて、長距離型の600R型や「ベルーガ」600ST型と合わせて317機が生産された。
時刻表ではIATA機種コードの「AB6」で記載されることが多いが、旧日本エアシステム(JAS)では長らく「A3R」と記載していた。

解説

200席クラスのA310でグラスコクピット・2人乗務のワイドボディ機を市場に投入したエアバスは、より大型の機体が求められることも見越していた[1]。
先に開発されたA300B2/B4は3人乗務の在来機であり、A310のシステムをA300にフィードバックすることで開発コストと期間の削減になる。
A300の機体フレームを若干延長し、逆に短縮されたA310の尾翼部分と組み合わせることでほほ変わらない機体サイズに収めた。
A310と生産設備および操縦資格を共通化することで大小2機種の併用をしやすくし、エアバスと採用エアラインどちらもメリットを享受できた。
もちろんエンジンはA310と同様に電子化を進めたものを採用し、キャビンも新しいエンターテイメントシステムに対応させるなど新世代機としての改良を加えた。
1980年にサウジアラビア航空からの発注でローンチし、1983年に初飛行、1984年に初納入された。
その後1987年からA310-300と同様の水平尾翼内燃料タンクで航続距離を伸ばしたA300-600Rに生産が切り替えられている。

エンジンはA300B4と同様にジェネラルエレクトリックCF6とプラットアンドホイットニーJT9Dからの選択であったが、生産途中からJT9Dに代わってPW4000が採用されており、600R型にJT9D採用タイプは存在しない。
どのエンジンもボーイングやマクダネルダグラスのワイドボディ機で採用実績があり、エンジンの共通性は機種ラインナップが少ないエアバスにとって大きなセールスポイントになった。
特に600R型はDC-10やL-1011よりも若干少ないキャパシティでありながらエンジンは2基で、後述するコクピットの2人乗務と合わせて運航コストの安さで市場を席巻した。

コクピットはA310と完全に共通のグラスコクピットで、エンジン計器を統合モニターにすることにより機長・副操縦士が操縦と合わせて確認することができ、航空機関士を必要としない2人乗務となり航空会社の人件費削減になった。
客室はもちろんA300B2/B4からそのままの直径5.64mであるが、長距離路線に対応してオーバーヘッドストウェッジの大型化やギャレー設備、エンターテイメントシステムの強化が図られている。
エコノミーは2-4-2の8列配置が基本で、国際線機材や一部の国内線機材では機体前方のAコンパートメントから中央部Bコンパートメント前半にかけて横5〜7列配置の上級クラスが設置され、総座席数250〜300席での運用が一般的である。
エンターテイメントは各座席に12チャンネル程度のオーディオが装備されるほか、映画や安全ビデオを上映するモニターを通路上に配置するのが主流であった。
一部のリゾートチャーターエアライン(現在でいうLCC)ではオールエコノミーの3-3-3または2-5-2の9列配置を採用し、350席程度を設ける例もある。
本機種の生産開始に伴って終了となったA300B2/B4の後継に加え、DC-10やL-1011を実質的にリプレースする航空会社も多く見られ、双発機時代を切り開いた機種の一つである。
また、エアバスでは自社の機体パーツを運搬する機材として胴体部分を大きく膨らませた特別輸送機A300-600ST「ベルーガ」を5機製造した。

A300-600Rは事実上の後継機A330-200が就航した後も貨物型を中心に生産を継続し、実際に生産終了となったのは2007年である。
旧JASからフリートをそのまま引き継いだ日本航空(JAL)をはじめ、アジア各国の機体が日本各地で見られたが、2010年代に入るとA330やB787へのリプレースが急速に進んで旅客型はもはや絶滅危惧種といっていい。
フライトサイクルが比較的少ない状態で売却された機体も多いことから貨物型改修が盛んで、貨物機はフェデックス(FDX)やUPSをはじめ各社で運用されている。
エアバスにより運用されている600ST型「ベルーガ」もA330ベースの「ベルーガXL」が後継として開発され、2020年代半ばには引退予定である。


A300-600R
テクノエア A300-600R (ぼくは航空管制官2)


ヘルパウイングスクリスマスモデル2002 A300-600ST

派生型

A300-600 (A300B4-600)

1983年に初飛行、1984年に初納入された基本型。
GE CF6エンジン装備型(A300B4-601, 603)、PW JT9Dエンジン装備型(A300B4-620)、PW4000エンジン装備型(A300B4-622)が存在する。
1987年から600R型に生産が切り替わっている。


A300-600R (A300B4-600R)

A310-300で導入された水平尾翼トリムタンクを装備した航続距離延長タイプで、1987年から生産が始まった主力モデルである。
JT9Dエンジン装備型はなく、GE CF6エンジン装備型(A300B4-605R)、PW4000エンジン装備型(A300B4-622R)が存在する。
A310-300やA320と比べると小型で目立たないが、空気抵抗削減のため翼端に三角形のウィングチップフェンスが装備される。
日本エアシステム(現・日本航空)が22機導入し国内線・国際線の主力機として活躍したほか、運用期間が短かったがギャラクシーエアラインズ(GXY)が貨物型2機(うち1機は旅客型から改修)を運航した。
貨物型A300-600F(A300F4-600R)や貨客転換・混載型A300-600C(A300C4-600R)も製造されたほか、他機種の例に漏れず旅客型や混載型から貨物型に改修されたものも多い。


A300-600ST「ベルーガ」

ヨーロッパ各地で製造されたエアバス機の部品を最終組み立て工場があるトゥールーズやハンブルクに輸送するために製造されたスペシャルモデル。
戦前戦後に製造された機体であるB377ストラトクルーザーを大改造したB377SGT「スーパーグッピー」の後継である。
600R型の機体をベースに、目的達成のため自分の胴体が収まるサイズまで大きく膨らませた貨物室を設けている。
コクピットは貨物出し入れの邪魔にならないよう低く移設され、水平尾翼の両端には垂直安定板が追加されている。
600R型と比較すると空気抵抗がかなり大きいため巡航速度は遅く航続距離も短いが、非与圧構造なので機体重量は軽い。


発展

600R型の成功を受けて、A300の胴体ストレッチ型計画A300B9がA330として、長距離4発機計画A300B11がA340としてローンチした。
両機種は共通の胴体にA320のフライバイワイヤ操縦システムを移植し、実質的な後継機種となった。


スペック
A300-600R A300-600ST
全長 54.1 m 56.1 m
全幅 44.8 m
全高 16.5 m 17.2 m
巡航速度 848 km/h 720 km/h
航続距離 7,834 km 1,666 km
最大離陸重量 171.7 t 150.0 t
エンジン GE CF6-80C2 25,400 kg ×2
PW PW4158 27,900 kg ×2
GE CF6-80C2 26,240kg ×2
座席数 〜361 -

主要カスタマー
日本

日本航空/日本エアシステム
600R型 (1991-2011 発注22機/運航22機)

ギャラクシーエアラインズ
600F型 (2006-2009 発注1機/運航2機)
アジア

大韓航空
600/600R型 (1987-2015 発注34機/運航40機)
国内線と国際線どちらも対応できる汎用性が武器になる。

タイ国際航空
600/600R型 (1985-2015 発注21機/運航21機)
本機種を早期に発注したカスタマーの一つ。

チャイナエアライン
600R型 (1989-2007 発注9機/運航14機)
近距離路線の主力として日本各地に就航した。

中国東方航空
600R型 (1989-2015 発注13機/運航13機)
旧・中国西北航空の機材と合わせて中心的な機種だった。
ヨーロッパ

オリンピック航空
600R型 (1992-2008 発注3機/運航3機)
小規模フリートでフラッグシップA340に次ぐ存在だった。

事故・インシデント

国内では中華航空140便事故の記憶が強いが、世界的にはA300-600は比較的安全性の高い機種として評価されている。
以下では日本国内で発生したもの、日本発着便が関係したもの、社会的に大きく影響を与えたものについて記す。


中華航空140便 名古屋事故

1994年4月26日、名古屋(小牧)空港にて中華航空(現チャイナエアライン)140便のA300B4-622R(B-1816, 1991年製造)が34滑走路の着陸に失敗して墜落、死者264名。
事故調査の結果、副操縦士が誤って着陸復航モードに入れたことにより自動操縦システムが機首上げ方向に作動し、パイロットの機首下げ操作と競合、機体が失速して墜落に至ったとされた[3]。
自動操縦とパイロット操作の競合による事故は20年以上が経過した2019年になってもB737MAXの連続墜落事故が発生するなど根本解決には至っていない。


チャイナエアライン676便 台北事故

1998年2月16日、台北中正(現・桃園)空港にてチャイナエアライン676便のA300B4-622R(B-1814, 1990年製造)が05L滑走路の着陸に失敗して墜落、死者203名。
4年前の名古屋事故とほぼ同様の自動操縦とパイロット操作の競合による失速事故であり、全く教訓として活かされていないとして社会的批判を浴びた。


アメリカン航空587便 ニューヨーク事故

2001年11月12日、アメリカン航空587便のA300B4-605R(N14053, 1988年製造)がニューヨークのジョン・F・ケネディ空港を離陸直後に墜落炎上、死者265名。
9.11同時テロ事件からわずか2ヶ月、同じニューヨークで発生したことから当初はテロ事件が疑われたが調査が進むにつれて事故と判断された。
先行するB747型機の後方乱気流に巻き込まれ、パイロットが機体を立て直すためにラダーペダルを急激に踏み込み、機体の構造限界を超える力がかかって垂直尾翼が破断したことが原因とされた。


参考文献

1. 「AIRBUS JET STORY」 イカロス出版, 2010年
2. 「旅客機型式シリーズ4 Airbus A300 & A310」 イカロス出版, 2001年
3. Aviation Safety Network


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